平成の新島八重現る
『新島八重』
1月3日(1845年12月1日) - 昭和7年(1932年)6月14日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。勲等は勲六等宝冠章。皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物。(Wikipediaより)
本日コンタクトした30歳小学校先生のKさんは、まさしく平成の新島八重でした。
まず、出身が八重と同じ福島県の会津ということ。会津は何年か前に旅行行きましたが、磐梯山が近くにあり、非常に素晴らしいところです。会津人は義を大事にするらしいですが、そんな会津出身というだけで、ポイントアップ。幕末期でも、私は薩摩・長州よりも会津・新撰組の方に情を感じています。
次に、薙刀をやっていること。大河ドラマ「八重の桜」を観ていた方はご存じかと思いますが、昔の会津藩の女性は皆薙刀をやっていたそうです。実際「八重の桜」でも、八重が薙刀を振るっているシーンがあります。Kさんも8歳から薙刀を始め、そのレベルは全国クラスのようです。やはり、会津の伝統は現代まで引き継がれているのです。Kさんの経歴は正にニッポンの女性という感じです。
そんな平成の新島八重ことKさんの容姿ですが、若干ぽっちゃり目。太った方はNGですが、ちょいぽっちゃりはOKです。愛嬌があります。容姿基準値はクリアしました。
肝心のコミュニケーション能力については、まだよく分かりません。小学校の先生という職業や、薙刀について、休日の過ごし方など、こちらが聞きたいことは結構あったので、こちらから質問をバンバン投げると、たくさん話して下さいました。子供が本当にお好きなようで、今のお仕事を楽しくやってらっしゃることが伺えます。
ただ、こっちからの質問は投げまくりましたが、Kさんからの逆質問はほとんど無かったのが残念で、私自身の事はあまり喋らなかった気がします。質問することが苦手と仰ってましたが、Kさんは私にあまり興味なかったのでしょうかねえ…(・_・;) 何を聞いていいか分からないとのことですが、相手に興味があれば、聞きたいことなんて自然に出てくると思うのですが。。ふーむ…
まあそんなわけで、会津人であることと、容姿基準値クリア、そしてたくさん話してくれたので、私はKさんにOK返事を出しました。KさんもOK返事をくれれば交際成立になりますが、仮に交際成立したとしてもちょっとネックがあります。
それは、お互いの住まいです。Kさんの住まいを聞きましたが、私の住まいとかなり離れてることが判明しました。1時間半位はかかりますね。果たしてこの距離に耐えられるかどうかですが、それは交際成立してからの話。まずは返事を待ちたいと思います。
別件ですが、31歳綺麗め秘書Eさんとの一次面接日程が20日で決定しました。そして、来週末もコンタクトが2件入っています。その他にファーストコンタクト日程調整中の方が7人。だんだん本格的に忙しくなって参りました。